Thank you for your message. This song is an old Japanese sad lullaby and is called "Itsuki Lullaby". "Itsuki" is a small village in the mountains of Japan. I can't translate this song into English, so Please see this site. jiten.cside3.jp/Itsuki-no-Komoriuta.htm Rich people let poor peasant children babysit their children. This is a lullaby that is sung with their loneliness, sadness, and resentment while being made to babysit.
亡くなった母が民謡歌手をやっていたのですが、まさかyoutubeで検索しても出てこないだろうと打ち込んでみたら、私も見たことのない母の幼い時の写真と歌声に涙が流れました。
林恵子、母の旧姓です。
小さな頃に私もよく母から福島の民謡を習いました。とても懐かしい気持ちにしてくださって感謝しております。
ありがとうございます
石津ぱん君さん:お便りを下さったことに感謝申し上げます。林恵子さん、お亡くなりになられていたのですか・・・たいへん寂しく悲しい思いで、今、胸がいっぱいです。
心に染み入る沢山の美しい歌声を残してくださったこと、それは、民謡を愛する私たちにとりましては、ずっと未来にまでも残しておきたい、かけがえのない貴重な遺産だと思っています。
今大好きな五木の子守歌を聴きながら、改めてビクター少年民謡会の歌声をRUclipsにアップして、本当に良かった!としみじみ思っております。ありがとうございました。
お返事くださってありがとうございます。そして母のために悲しんでくださりありがとうございます。
今日こちらのチャンネルにお目にかかれて本当に良かったです。私事ですがいまお腹の中に女の子がおります。
産まれたら母から教わった民謡と三味線を今度は私がこの子に教えていきたいと思います。母を憶えていてくださる方がいてくださり本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
@@石津ぱん君 さん、お腹の中の女の子は確実に林恵子さんの豊かな天分を受け継いでおります。元気で丈夫で可愛い女の子が無事誕生することを、切に願い、お祈りいたします。
そして、将来は林恵子さんがなさって来たように、未来の人々に日本の民謡の温かい心を歌い届けていただきたい、そう思うばかりです。
現在このコロナ禍拡大に加え、これから本格的な冬を迎えます。どうぞくれぐれもお体をお大切になさってください。
@@黒澤辰昭
温かいお言葉ありがとうございます。こんなご時世ですし、寒さも増してまいりました。どうぞお体をご自愛ください。ありがとうございました。
私の父親はこの五木村
出身で、酒を飲んで
気持ち良くなったら
よく聴かされていました。今歌詞を見ると
凄く悲し唄だと解り
父親は子供の頃を
想い出して居たのかな~
お父様が歌う生まれ故郷のこの唄を、お聴きになっておられたのですね
きっと何物にも代えられない、温かな思い出でをいつまでもお持ちになっていることを、心底羨ましく思います
今の子供からは想像もできない暮らし。食べるためだけに奉公に出されてどんなに辛かったか?忘れてはいけないと思います。現在の子供は幸せですね
その通りですね。私たちは生まれる時代を選べません。現在に生まれた私たちは、そのような過去の時代よりもはるかに恵まれていると思います。しかし、現状を他と比較することでつい自分の幸福度を測ってしまいます。その時、「知足常楽」ということに気が付かなければ、生涯幸せにはなれないかもしれませんね・・・
足るを知る、忘れがちですが、このような歌を聞くと心に沁みます。幸せですね、いまは。
毎回聴きます 感激だけ素晴らしい‼️です
3日前に五木村に行ってきました。
いろんな所で人に出会いました。いろんな知識を得たつもりです。
その上でどちらかと言えば後の歌の方が訴求力がると思いますね。
でも本当に沁みるのは もっともっとこの地で人生を重ねた人に歌ってもらいたいです。
この歌はそういう歌なんだと感じてます。
いつ聴いても 感激です‼️
そんなことがあるんですネ。私の年齢(75才)から想像して、今はこの唄を謡っている児童はお元気かなと思っていました。…素直な子供ながらの小節が聴かれ、気持ち良く楽しんでいます。これらをアップして頂いている方本当に感謝です。
ご視聴くださいまして、ありがとうございます
このビクター少年民謡会の子供たちのこの上なく感動的な歌唱を、一人でも多くの方々と分かち合いたいと常々思い、ここに紹介いたしました
後世までずっと残しておきたい、まさに日本の宝だと思うのは、決してわたし一人ではないと信じています
何回聴いても 素晴らしいです
こう言う歌声を天使の声と言うのだろう。でも、もう聴きたくない、涙が止まらなくなるではないか、二度と帰らぬ過ぎ去りし日々。
懐かしくて今日は何回も暇をみて何回も聴きました。そもそも数十年前6歳離れた兄が民謡集を購入して聴いていたのを私が何気なく聴いていて五木の子守の声に惹かれて何十年も記憶にしていました。私はその頃合唱部に入っていて一生懸命歌を唄っていました。
哀切をおびたもの悲しい歌唱力、心にしみました。
何と無な悲しい歌い上げ、想わず五木の村に我が足を踏み入れております、背の赤子に寝んねしなと、手を添えています、あぁ、里山の人々の営みから戦後の日の本が在るのですね、、さぁ私も故郷に帰って見ましょう、里山に
5、6歳の頃を、懐かしく思いだします、親の恩恵を、今更ながらが感じました。諸行無常
万物は生じて滅す.
聞き手の年齢や体験などにより感じ方、受け止め方は、本当に千差万別なんですね
それだけこの歌唱は、筆舌に尽くしがたい魂を揺さぶるものがある・・・ということでしょうか
酒が回るとこの歌と、島原の子守唄は必ずや口を付いて出ます!
すぐにでも飛んで行って、五木村の風景に溶け込んでみたい衝動にかられます。その貧しさから生まれた唄から見て、この半世紀で俺たちは今どこに来てしまったんだろう。遠くを見るような気持ち。
わたくしも 何回も何回も聞き入ってます‼️ ほんとに素晴らしい歌声‼️ こんなに素敵な綺麗な歌声‼️ 何故か涙 ありがとうございます‼️
ビクター少年民謡会の子供たちの歌声は、時に楽しく、時に、悲しく、また時に、心洗われるます。
このビクター少年民謡会の楽曲は、日本民謡76本、アメリカ公演4本、オリジナル曲5本、合計85本のアップがございますので、よろしければ総てお聴きになっていただければ幸いです。
今から53年前に聴いた唄声今まで記憶に残っていて時々思いお越していました。今再度聴くことができてて嬉しい気持ちです。ありがとうございます。
懐かしい思い出の曲との邂逅を私も嬉しく思いました
ご報告ありがとうございました
凄く良い歌ですね、胸が熱く成ります、又、昔を、思い出されます、有り難うございます‼️
我異国暮らしでハーモニカのレパートリー曲の1曲ですが吹く都度に涙しながら吹いています…
素晴らしいね😥何故か,悲しくなります!終戦後の日本の貧しい片田舎を連想します😥🎵有難う御座います🎵
五木の子守歌の中には日本人なら誰でも自然と共感できるものがある・・・、聴く人はきっとそう思いながら、胸をいっぱいにするのでしょうね
心の奥まで沁み込みます。素晴らしい。
何回、聞いても、すばらしい歌声としか、言いようがない。いつも、いつも、感動しています。
映像に出て来ます史跡の数々どれも
胸に迫るものがあります。何度拝見
しても。3人の歌声はそれにしても
唸らせるものがあります。
ビクター少年民謡会は、民謡好きにはたまらない貴重な音楽遺産を残してくれました。この魅力的な遺産に触れて、新鮮な感動を共有できる人たちが一人でも多く現れることを望みます。
この歌を聴くと涙がとまりません
私も子守りに行きました
心の奥底の襞の中の隅々まで、静かに沁み込んでくる歌唱ですね
@@正弘榎勢 さま
そのようなご経験があればこそ、その感銘、実感は人一倍なのだと思います
🌈💖🎵🏔余り、素晴らしいので‼️🎵言葉に、なりません💐💖🌈💖🌈💖🌈
この二人の女の子の歌唱は今から50年以上も前のものですが、それはどんなに固く閉ざされた心の中にも暖かく沁み込んで、時代や世代を超え、聴いた人々は言葉を失い、涙するのだと思います。未来永劫まで残したい歌唱です。
@@黒澤辰昭 様ありがとうございます🌈💖🌈💖🌈
これ以上情感の籠もった歌声は、聴いたことがありません。
感動しました。
その通りですね。世代を超えて、聴く者の心の琴線に触れる類を見ない感動的な絶唱だと思います。この先もずっと残しておきたい名演だと思います。
@@黒澤辰昭 ー
追伸です 子守に出された女子たちは『まだ自分が母親に甘えたい年ごろなのに、それを我慢して赤ちゃんを負ぶってあやしていたのだ』と石碑に書かれてたのを読んで、この歌の本当の切なさを理解できた気がしました。これ以上は涙が出るので止めておきます。
日本の子守歌は、子供が子供の子守りをするのに、西洋のそれは母親の愛が子供に注がれていて、まさに真逆の世界ですね・・・
激しく同意です。
素晴らしいですね。
この、歌詞を検索しました、余りにも悲しい現実があったんたですね、この歌詞の意味と、哀愁の歌を聞くと、たまらない思いです。
そこへ行くと西洋の子守歌は、日本のものとは対照的にどれも優しさに溢れていますね
泣ける!泣ける〜ごめんね~
多分12,3歳の方達が歌っていると思います。大人の方の声も素晴らしいが、又子供達の声も格別に素晴らしい、これを教えた指揮者の方々も素晴らしい、これこそ日本の宝歌
もう、最高の歌声 ! 涙 涙。
この歌聞くたびに思い出します実は昭和三十九年頃五木村で大水害がありました死亡者も沢山出ました当時球磨郡にいた私も応援に行きました
昨年2020年の7月、球磨川氾濫で多くの犠牲者が出ました。今年はそういった不幸が絶対に起こらないようにと願うばかりです。
黒澤様有りがとうごさいます2○2○年の球磨川の水害私も子供の頃から水遊びした川です私の近い人吉付近もご存じのように被害を受け私は夢を見てるようでした今後2度と水害が無いよう祈っています有りがとうごさいました
素晴らしい🎶💮
夏に職場で郡上踊りを踊ってみてるうちにビクター少年民謡会の歌に出会いました。特にこの二つの五木の子守唄には深く感銘しました。涙が出て止まりませんでした。ほとんどの民謡を聞かせていただきましたが、まさにこの子たち3人は天才ですね。毎日のように聞かせていただいています。いくら聴いても飽きません。その後この3人はどのような活躍をされたのでしょうか。調べてもできてきません。 小高桂子さんだけキングレコードから出されているようですが、お顔を見るととても似ているようです。これからも聴いていきます。アップロードしていただきありがとうございました。私は山形県生まれ名古屋在住のおじさんです。
BLUES ALLさま
心温まるご感想を聞かせていただき、大変うれしく思っております。ありがとうございました。
私自身も現役時代のビクター少年民謡会の活動は何も知りません。民謡すら関心がなかったくらいなのですが、20代のころ何かの機会でその歌声を聴いてからは大変なお宝を発見した思いで、その後、当時のレコードを探し回ることになり、今に至っております。
ただ、すでに半世紀以上の時が流れているので、手持ちのもの以外には新しい録音を見つけることができないのがとても残念なのですが、今残っているものを「昭和の民謡界の宝石」として、いつまでも残しておきたいという思いでRUclipsにアップした次第です。
それから、 小高桂子さんは今も活動なさっていらっしゃることを聞いて嬉しく思いました。うれしい情報をありがとうございました。林さんや岡部さんもとても気になります。
因みに私は神奈川県生まれ、横浜在住のじいさまです!(笑)
今までに沢山の「五木の子守歌」を聴いてきたが、前半の3人娘さんの歌声には
ほろっとさせられてしまいました。
最高にいいですね!
この歌唱は後世までずっと残しておきたい素晴らしいものです。何度聴いても聞き飽きない、子どもが歌うこの五木の子守唄の歌唱を凌駕するものは、もう出てこないでしょうね。
歌を聴いていると素朴な歌にほろりとさせられます。
何回聴いても、悲しい歌ですね。😢
良いですねえ。素晴らしいです。
本当に少女なのでしょうか?すごいレベルの歌唱力ですね。びっくりしました!
昔のレコードかも知れませんが、上手い人がいるものですね。
子守唄と云っても子供をあやすような言葉は一切ありません。
子守奉公に出された少女達の哀歌なのでしょう。
その時代背景を思い浮かべる程涙が流れる歌ですね。
もう、最高の歌唱力 ! これだけ素直な歌声に、震えがきます。感謝! 感謝!
彼女たちの歌唱を超えたものは、かつて聴いたことがありません。未来永劫輝きを失うことのない、日本の貴重な宝石だと思います。
七歳から十歳位迄の貧しい女の子が子守りに出され、こんなに人生最後の事まで感じとる‼️なんと悲しい‼️悲しい五木の子守唄‼️心 体にしみます 悲しい❗️歌が心しみます感激です‼️
なんだろうこの歌声は・・・なぜか胸にジーンと響きわたります。岡部幸恵ちゃんのもの哀しい歌唱力に魅入ってしまいます。
U
I am
このような、過去が有り現在の繁栄があるのでしょう。
前世に、感謝です。
繁栄は無いと思います。1000人足らずの人口ではそれは無理ですね。
3日前に行ってつぶさに見てきました。建物ありて人無しの状態ですから。
今は亡き古関さんが貧しい五木の昔を現した名曲ですね とても心の唄として歌っています
日本の好きな子守歌は、と訊かれると、真っ先にこの五木の子守歌を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。それほど万人の心に深く沁み込んでいる子守歌・・・そう思います。
最初の歌いは味があるね。声の返しや変化が何ともいい。
人の心に染み入る歌唱とは、ただ単に歌が上手いということとは別物ですね
ビクター少年民謡会の存在を初めて知りました、もともと五木の子守唄が聴きたくての検索でしたが⋅⋅⋅⋅⋅なんと!ビクター少年民謡会の歌唱に出会い、なんとも言えない感動を覚えました⋅⋅⋅⋅⋅お蔭様でやっと聴けた五木の子守唄が、何倍も心に染み入る唄となりました⋅⋅⋅⋅⋅また動画の背景に肥後椿が映ってて、この種の椿も初めて知りましたが⋅⋅⋅⋅⋅花蕊が大きく!とても綺麗でビックリしました!UP有り難うございました。
嬉しいコメントをありがとうございました。私自身もビクター少年民謡会のことはこのレコードを買うまでは全く知りませんでした。たまたま購入したこのレコードで、子供たちの歌う民謡に大人が歌うものにはない可愛らしい魅力にすっかり心を奪われました。
当時の彼らの歌う姿の動画を、一度見てみたいと思ってはいますが、いまだに叶わないのが大変残念でなりません。
@@黒澤辰昭 様!返信有り難うございました、今後ともUPを楽しみにしてますので⋅⋅⋅⋅⋅宜しくお願いします。
上手ですね~心打たれました。🎉❤
本当ですね!
この録音はこの先も決して失われてはいけません
日本の宝だと思います
聴いていると涙があふれてきました。😪
色んな人が五木の子守唄を歌ってますが 私はこの方達の歌しか聴きません。子供時代の声と大きくなっての声でしょうか。節回しは変わりませんね。素晴らしい歌唱力です。
今何歳になっておられるのか?
県内の出身なので歌詞がそのまま胸に刺さります😭 高校生の頃、五木生まれの方から正調五木の子守唄を歌ってもらったことがあります。全然違う歌だと感じました。もう一度聴きたい❗️
わたしたちが普段耳にしている民謡の多くは、西洋音階にアレンジされたものですが、本来のものを聴くとその印象は全く違っていて、また別の感動が湧いてくるのでしょうね。どちらも良いものだと思います。
今、我々が耳にする『五木の子守唄』は作曲家の古関裕而さんが五木村まで赴いて正調『五木の子守唄』を歌えるたった1人しかいないお婆さんに歌ってもらいそれを譜面に書きとめ日本的音階の曲調に編曲してコロンビアレコードより発表されたのが我々が知る一般的な五木の子守唄ですが、アレンジ前の正調『五木の子守唄』はかなり違う曲調だったと古関先生も感想を述べられておられたようで、 しゃんしゃん様がお聞きになった五木村生まれの人が歌う『五木の子守唄』が全然違う歌だと感じられたのはある意味正解だと思います。
我々が知る古関裕而編曲版『五木の子守唄』はアレンジというよりも古関先生ご自身が作曲された部分が多いのではないかと思うのですがこれはこれでとても素晴らしい作品だと思います。
私もアレンジ前の正調『五木の子守唄』を一度でいいから聴いてみたいです。
何回聞いて藻、感度します。
今、五木村に来てます
現在は道路も良くなり容易く来れるけど以前は秘境だったんだろうなぁ~
タイムマシンで昔の生活が体験したい‼
うらやましいですねぇ。五木はイメージの中ではこの子守唄の時代のように時間が止まったままです・・・
なんと物悲しく美しい歌!子守りにやらされた姉を思い、涙ぐむ自分は女々しいでしょうか。
決してそんなことはありません。きっとCY Chenさんは他の誰よりもこの歌を理屈抜きで共感されている方だと思います。
なんだろうか、この物悲しい歌声は。年若いだけに痛々しく、胸につまされます。
+M TATSUGORO さま
この歌の時代は、貧しい家の子供が裕福な家の子供の子守をしていたのでしょうね。
そのつらい子供の気持ちを、大人ではなくて、このような少女が歌うからこそ、尚更心の奥に沁み込んでくるものがある・・・そんな気がいたします。
子供たちの過酷な体験が直接伝わって来る。
この世に生きるのが苦しみだ、「一切皆苦(いっさいかいく)」ということを教えてくれる。
1:15
「よかし帯などほしくはないが、せめて母様いてほしや」。
こんにちは。名古屋在住の爺さんです。ずーっと少年民謡会の唄を聴かせてもらってるうちに、この五木の子守唄の歌い手がわかったような気がします。1961年は岡部幸恵ちゃん、1968年は林恵子さんさんだと思います。歌い手さんの明記がある相馬二遍返し(林恵子)、生保内(小高佳子)を何回も聴きなおしました。まず間違いないと思います。それから八戸小唄、木更津甚句、佐渡甚句、尾鷲節などどの順番で歌っているか楽しみながら毎日のように聴いております。本当に素晴らしい娘さんたちですね。本当にありがとうございます。手に入れたくてもとても無理なようです。3人の娘さんたちがその後、幸せな暮らしをされたと願うばかりです。
こんにちは。
いろいろ調べて下さいましてありがとうございました。
当時はソロで歌っていても、レコードにはその名前を表記されることは稀だったのでしょうか・・・
「小高桂子さん・岡部幸恵さん・林恵子さん」はビクター少年民謡界の正に「三羽烏!」、そう思っております。
彼女たちの熱唱は、今まで数え切れないほどの人々の心の奥底に温かい灯をともし続けてきたことと信じて止みません。
子供のころよりクラシック音楽を聴いて育ってきた私でしたが、彼女たちに巡り会えたことに心底感謝しております。
彼女たちの歌声、さらに大勢の人々に聴いてもらい、未来へ向けて大切に残し、そして、ずっと伝えたいですね。
亡くなった母が民謡歌手をやっていたのですが、まさかyoutubeで検索しても出てこないだろうと打ち込んでみたら、私も見たことのない母の幼い時の写真と歌声に涙が流れました。
林恵子、母の旧姓です。
詳しいお話も聞けて大変うれしく思っております。言葉では表せないくらい胸が一杯になりましたありがとうございます
@@石津ぱん君 さ
2018年春、少年民謡会の唄に突き動かされて「原風景」を見に行ってきました。関西から約1300Km マイカーを転がしていく道中も「♪はなはなんのはぁ~な~」などと口ずさんでいたので眠くならなくてよかった。 道の駅「子守歌の里五木」では案内のねえさん、にいさんが親切にいろいろ教えてくれ、堂坂ヨシ子さんの録音に耳を傾けてきましたワ。歌詞や資料もどっさりくれた。 山桜満開の里。今でこそ「ええなあ」と見えましたが、その昔はたいへんやったんやろな。ボクが子供やった時(70年ほど前)は、姫路あたりでも大人も子供もモンペやドンザを着て、子守しいもって貧しいご飯ごしらえしよりましたがな。 なにはともあれ川辺川のダム建設が中止されたのは良かったんではないか。かなりの人が住み慣れた家を立退きさせられた後だったそうだけど。 帰路はにぎやかな「球磨の六調子」を唄って帰りました。少年民謡会のアルバムにあるのかな。
ビクター少年民謡会の女の子の歌うこの「五木の子守歌」に・・!!、1300キロも・・!!
何とステキなお話でしょうか。拝読していて大変感動いたしました。生涯忘れられない思い出深いご旅行になられたことと思います。貴重で楽しいお話をありがとうございました。尚、「球磨の六調子」は残念ながら少年民謡会では聴いたことがありませんので、ないかもしれません。
子どもがなかなか寝てくれないと子守はつらい…自分も寝たいのに…
赤ん坊が可愛くて子守りをするわけではないので、結果的には負の感情しか湧いてこないことが、日本の昔の子守歌のベースになっているのでしょうね
素晴らしありがとう😊
独自の歌い方ですね。素晴らしい。
いや~7分間、じっくり聞き込んでしまいました。この磨かれた声の心地よさは、
いったい何なのでしょうか、、、歌声100%の完熟ジュースみたいな。歌声で真正面から勝負しているという感じ。演奏も歌を引き立てることを最優先に考えているよう。方言による歌詞も、
いいようのない深みがあって面白い。実に聞き応えのある歌だと思う。
素晴らしいコメントをありがとうございました。
まさにyassy588さんのおっしゃる通りです。
これほどまでに聴く者の心の奥底に沁み込んでくる絶唱は、稀有です。
いつまで大切に残したい貴重な録音だと思います。
黒澤辰昭 こちらこそ、ありがとうございます。、、
九州人の私は、「よか、きもん」とか聞かされるだけで、なにか、心の奥底の引き出しが、
開くような思いです。やっぱり、言葉って大事ですね、、五木とか、阿蘇とか、地理的な言葉も言いようの無い強烈な力がありますね。
お国情緒の濃厚な深みのある素晴らしい歌ですよね。たまに聞くと、
なんだか、ほっとします。
民謡に聞き惚れていましたら
涙眼になっていました。
淋しい語句です。
moon tono さま。日本の子守唄は、あまりにも悲しすぎますね・・・
貧しかった時代を知る戦後10年後の世代です…遠い遠い…夕焼けを背に暗くなるまで駆け回ったあの頃…カラスや燕や雀も仲間だった……私が口ずさむと必ず涙が出る唄です→五木の子守唄・雨降りお月さん・別れの一本杉
コメントをありがとうございます。
人の心の奥底には、誰にでも子供時代に灯った不滅の法灯のようなかけがえのない思い出があって、それを呼び起こさせてくれる一つが、この唄・・・そう、私もその一人です。
小・中学生とは思えない素晴らしい歌唱力ですね。
コメントをありがとうございました。何度聴いても心の奥底までしみ込んできます。もう50年以上の録音になるかと思いますが、この歌声はいつまでもずっとずっと残しておきたいものです。
中学生の時、音楽の時間にレコードジャケットの写真を見ながら友人と話をしていたら先生が「どの子に決まったんや❤」と言われたのを覚えています。可愛かったな-。遠い昔の事です。
私はすでに棺桶に両足を入れている初老です。
この歌を耳にした時は涙が止まりませんでした。
こんなに長く生かしてもらったのに何故この歌に会えなかったのか残念でたまりませんでした。
残された時間を大事に今は1日に3回は五木の子守唄を聞かせて戴いております。ありがとうございますm(__)m
当たり前に生きている今、この時代の人達の心を聞くと考えさせられるものがあります
当時はこういうことが当たり前のことだったのでしょうか・・・
そう思うとあまりにも悲惨で辛いです。
本当ですね。亡くなる前に喜びがあったことを願いたいです。
今の自分達の普通は実は幸せなことなんだろうな。
でもどんな感情よりも悲しみの中にこそ深い感性がある気がします。だからこの歌にもひかれるのかなと思います
正におっしゃる通りです。
今ある幸せに感謝ですね。
そうですね、多くの方々が築きあげてきた歴史に感謝ですよね、
同感
Excellent !!!
VERY GOOD !
ここに出てくる写真の葛の八重 くずのはえ、瀬目 せめ は私の故郷です。瀬目の八坂神社は源平時代 源頼朝公から守護、地頭に任命された人吉の相良氏の家来の和田氏が京都の八坂神社を勧請して瀬目の百姓に世話をさせたといういわれのある神社です。ちなみに現在の五木村の村長さんはその和田氏の子孫です。小学校の先輩です。
由緒のある地方のご出身の方なのですね。そのような歴史をもつ中でお育ちになられたこと、大変羨ましく思います。
林恵子さんの娘さんも私と同じく感動して すごく嬉しいです。 できましたら CDにはなりませんか
私自身は知らなかったのですが、当時は民謡ブームだったようです
そして、「ビクター少年民謡会」も大変な人気を博していたとのことです
確かに若い彼ら、彼女らが残した熱唱の数々は、大変貴重な遺産だと思います
音源がまだ残されているのであれば、私も損得抜きでのCD化を望みます
私が死んだからといって誰が泣いてくれるだろうか。裏の松山にしんしんと蝉が鳴く。
私が死んだら(誰も来ない墓地ではなく)道端に埋めてほしい、そうすれば通った人が花をあげてくれるだろう。
悲惨な歌詞ですな…
年端も行かぬ子どもの発想を突き破った恐ろしいほどの言葉ですね
今の世の中、どこにこんなことを考えたり言う子供がいるでしょうか
それを言わなければならなかった想像を絶する時代を思うと、もう言葉になりません
このような悲しい歌を聴いていると、戦争中の疎開先で味わった貧しい生活を思い出してしまう。
haruka yukumichi さま。
コメントをありがとうございます。
私には幸い戦争や疎開の体験はありませんが、この歌でその当時のつらい思い出が蘇る・・・
という方々が本当に大勢いらっしゃるのですね・・・
haruka yukumichi
疎開をしたということは、80過ぎでいらっしゃる?
世間に知られているこの歌謡曲「五木の子守歌」の作曲者は古関裕而さんでしょうけど、作詞者はどなたなんでしょうね?
録音に当たってはプロが歌詞をつけたはずですが、2パターンあるということは同じ人が録音のたびに変更したのかな?
放送禁止になったやつか。 五木の子守唄はメロディーは同じながら、守子たちが即興で歌ったものだとは知りませんでした。『「五木の子守唄」の歌詞いろいろその2』を検索で見つけたら、なるほどと思いました。すごい歌ですね。
「子守歌」のイメージは、一般的に我が子への母の愛情を反映させたもの、そう思い浮かべますが、日本の子守歌は、そういったものは微塵もない正に特殊な世界ですね
なかなか修正の意見が入らないのでコメントを入れさせてもらいます。
放送禁止ではなく放送自粛だったと思いますが、同じ子守唄でもフォークグループ赤い鳥が歌った「竹田の子守唄」ですね。原曲はあったのかも知れませんがあれは現代の流行歌でした。
京都の八坂は尋ねたが裏手にある森は美しくてニャア🐱
I love this song. I wish that I knew what it meant.
Thank you for your message.
This song is an old Japanese sad lullaby and is called "Itsuki Lullaby".
"Itsuki" is a small village in the mountains of Japan.
I can't translate this song into English, so
Please see this site.
jiten.cside3.jp/Itsuki-no-Komoriuta.htm
Rich people let poor peasant children babysit their children.
This is a lullaby that is sung with their loneliness, sadness, and resentment while being made to babysit.
@@黒澤辰昭 my daughter in law Romi comes from Sapporo area Japan and I love her and so really I love all Japanese people.
@@evelinenachtegaelelovesgat2686 I'm very happy to have you think that way.
鳥肌〜涙…お母さん。
京都GGがコメント寄せました
幼少の頃の佐世保市山祇町の楽しかっ楽しかった想いで、白南風小学校の裏山、田んぼで魚取り、爺ちゃん、婆ちゃんが居た🧔🧑🦳
神様の目的は、魂のはぐくみであり、その計画された貧しさの人生は、言わば、魂の英才教育である。選ばれた者は、なんと光栄なことか。
incredible
唄っている方は岡部幸恵さんなんですね。🐝
sorry friedns? i looked for this in a more clean quality! how can i find it? thx in advance!
nice to see one english comment.
GOOD !
😢😢😢😢😢😢😢❤
古い歌い方の木曽節と同じですね。
Muito bom
0:01🦋岡部幸恵
3:40🌷林恵子
(前にあった🌾のパクリです)
1:14👘よかし帯など欲しくはないがせめて母さんいて欲しや
どんな歌詞でも この子の歌には 感動しまくりです 私もぎよぎ 見習いと言って
1年間
酒屋に行ってました 思い出しますね辛かったこと
少女達の歌声に感銘を受け震え涙が止まりません!悲しい詩ですね😭
この歌唱は、枯れることのない清らかな泉のように、生涯心を潤してくれます。
❤
花や植物と会話出来るだろうか🐱あなた方
it's most typical folk song
Thank you very much! That's right!
I think this traditional Japanese folk song is very familiar to Japanese people.
水はテンからもらい水×☆。『ドンガメ』の雨水利用の中に蛙が泳いでいると、蛇🐍が良く食べに来ていた×☆。黒酢作りの大きな『水がめ』茶色……×☆。水汲みは大変重要な案件ですよ×☆。水源地×☆。
一つの歌、一節の歌詞に人は実に様々な思いや、懐かしい思い出を想起するもの、させられるもの・・・なんと奥の深いことだろうか・・・
蝉じゃござんせんイモトでござる。イモト泣くなよ気にかかる。と言う歌詞は無いんですか?😂😂😂
この歌詞は知りませんでした
色々な歌詞があるみたいですね
台風18号発生する
❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓‼️
つつつててててててててててつててつつつつつつつつてつつつつつつつつつつつつつつつ
VERY GOOD !
GOOD !
🩷
VERY GOOD !
GOOD !